2015年02月15日

ラブザナとNext



 ラブザナ作りながらソーサリアンの勉強をしており、ソーサリアンNextのサイトなんかも見ているわけなんですが、iOSコンテスト応募作「剣と魔法の都ペンタウァ」、Next冒頭のシナリオ「はじまりのゼロ」なんかを見ていると、ラブザナに近い世界観で違う方向のものを作られていて、とても面白いなと思います。
 ラブザナの世界は消え行く世界の住人側が超すごい力で消え行く運命を叩き潰しにかかってくるのを、新世界側が更なる力で殴り返してぶち殺し、「もう昔には帰れないんだ!新時代の始まりだぜ!」と絶叫するような、控えめに言って野蛮な世界なのですが、Next作家陣はとても丁寧にじっくりと上品に「過去・未来」両者の動きを書いており、これは勉強になるところです。
 もっともラブザナの物語はまだゲーム中で語られる段階にないのですが。

 Next筆頭のリオ氏と自分は、過ぎ去ったあの場所を観る立ち位置がとても似ているのだと思います。
 過ぎ去り消えていくことに合理を感じつつ、共感を覚えつつも、愛しているものをそのまま見送る気にはならないし、新時代に対し負けるようなコンテンツでないことも確信している。
 吠える過去からの使者にも、それを剣で治める未来からの冒険者にも共感したまま、どっちつかずの世界で、新しいゲームを作ろうと(あるいは作れると)考えている。



 はじまりのゼロで描かれる「霧散するペンタウァ」の姿は、少し上空から俯瞰して見ると、人の脳が何かを忘れていく姿そのもののように見えます。
 世界そのものが脳に似た構造を持っており、その上でペンタウァは忘れ去られ消えようとしている。
 そう考えると、あの世界のいわゆるダークサイド、魔性の連中というのは、必ずしも邪悪な存在ではなく、単に世界が持っている忘却の機能の使者なのではないかと、ふと思います。

 忘れるという機能は、人が過去の失敗と決別し、次の世界に旅立つために使われます。
 それは種族が繁栄していくために寿命という仕組みがうまく機能しているのと少し似ていて、切ない力です。

 想い出とデフラグの戦いがソーサリアンNextだとして、おそらく今Ver5が検討されている「ソーサリアンNext企画書」も、同じように想い出とデフラグの戦いそのものなのでしょう。
 Next企画書の上で行われる膨大な量の「継がれるものと変わっていくもの」の選定は、まさにNextという次世代に向かうための、失っていくことへの勇気が試される難行であることと思います。
 ユーザーによるジョーク企画に近い装いとはいえ、あらゆる意味で興味深いコンテンツになっています。
 そして当方の活動とも親和性が非常に高い。

 そんなわけで、ありがたいことに次のラブザナはNextのスタッフ様にもご協力頂くものになる予定です。
 よろしくお願いいたします。







posted by 座間 at 13:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする